2016年の夏、甲子園兵庫県大会決勝で明石商業を破り優勝を飾った市立尼崎高校。
前評判では当時県内無敵(新チーム結成時の秋から春まで)の明石商業が、誰もが優勝すると思っていたことであろう。一方、市立尼崎は下馬評を大きく覆しての優勝であり、もはやダークホースでさえも無かったかもしれない。
なぜ市尼は優勝できたのか。なぜ平林君は強豪をねじ伏せることができたのか。素朴な疑問は今でも浮かぶ。
あれから一年。
私は決意し、2017年夏の大会兵庫予選を目前にして、当時のエースであった現佛教大学硬式野球部の平林弘人選手にインタビューを直訴した。
快く了承してくれた平林君。
1時間に及んだインタビューにも、丁寧に答えてくれた平林君と取材協力に応じてくれた佛教大学様に心から感謝し、その内容を皆様にもお伝えできればと思います。間もなく迎える”三年間の集大成”である夏の予選。ひた向きに優勝を目指す現役球児たちにとって、兵庫の頂点に立つことができた平林君の言葉は、少なからず何か力になると思い、取材を敢行してきました。
目次
あの夏から一年。平林選手インタビュー
冒頭でまず読者様にお伝えしたいのが、平林君本人は度々『一回優勝しただけで偉そうな事言えません…。常連校でも無いので…。』そう漏らしていた。謙虚で低姿勢で、質問にも一つ一つ丁寧に答えてくれる姿勢を見ていると、それだけで野球だけではなく人間的にもしっかり教育を受けてきたのだなと感じた。
小学生から野球を始め、中学生の時は学校の軟式野球部(浜脇中学)に所属。とりわけエリートでもなく、ごく一般的な野球少年といった経歴。同じ中学の2学年上の先輩が市尼に進学をした縁もあり、市尼の門をたたくこととなる。3年後には予想もつかなかった兵庫の優勝投手となる。
一年前の話になるが「記憶はまだありますか」と問うと「しっかりあります」と答えてくれた。
予選前・中盤戦・決勝戦・甲子園。チームの雰囲気や心境を振り返ってもらった

撮影協力 佛教大学
ーー大会開幕前に警戒してたチームはありましたか?
(即答で)吉高君擁する明石商業ですね。まさに絶対王者でした。秋から夏まで県内無敗で、選抜で二番手の山崎投手ですら、3安打完封する姿など見て、ほんとに凄いなと感じてました。
ーー大会直前の話を伺います。チームの雰囲気や、優勝に対する思いはどうでしたか?
秋に明石商業に2-3で負けているのも有り、決勝で当たったらドラマチックだなとチーム内で話してました。ですが、正直なところ優勝できるとは思ってなかったのが本音です。目の前の相手を一つ一つ倒していくことを考えていました。まずは選抜に出場した長田高校が山場だなと、前田主将を中心に話をしていました。
ーー1回戦夢前高校、2回戦福崎高校、そして山場と話していた長田高校に勝利できました。その時のチームの雰囲気はいかがでしたか?
ほんとに一つの山場を越えただけで有り、まだ優勝の文字は全く浮かんでいなかったです。再抽選が行われるので、次の相手はどこだろうと考えてた程度です。
ーー5回戦西宮今津高校戦、延長引き分け再試合の末、勝利。そして迎えた報徳学園戦。強打を誇る打線を完封。大きな意味を持った試合かと思いますが、いかがでしたか?
報徳学園とは練習試合で何度も戦っていて、夏直前の練習試合でたまたま一回だけ勝てましたが、あとは全敗でした。相手の力を知っている分、勝てるとは思ってなかったのが本音です。試合前に『終わったらボーリングでもいくかー』と話していたくらいです。冗談でですけどね。(笑)ただこの試合に勝利できたことにより、間違いなくチームが変わり、起点となった試合でした。もうそこから押せ押せでチーム全体で負ける気がしない状態でした。完封できたことにより、周りから凄いと声を掛けてもらえ自分の自信にもなった試合です。
ーー準決勝で社高校を下し、迎えた明石商業の決勝戦。個人としてまたチームとして雰囲気はいかがでしたか?決勝特有の独特の雰囲気があるのでしょうか?
いえ、自分も含めチーム全体で落ち着いて試合に臨めました。試合前のアップでもいつも通り冗談を言い合ってましたので。(笑)監督の教えで『場に合わす事無く、いつもと変わらず試合に挑め』といつも言われてきました。なので、自分自身でも平常心で試合に入ることは心がけていました。個人としては、緊張とかでは無いですが3回くらいまで雰囲気に飲まれてました。4回以降はいつも通り集中できました。ただ本当にバテバテでした…。

2016年 優勝の瞬間
ーー9回裏2死、レフトフライを掴んだ瞬間はどんな光景でしたか?
フライが上がった瞬間、ちょっとだけやばいと思ったのですが捕ってくれました。今でも覚えてますが、優勝の瞬間、周りの声が聞こえなくなったんです。時が止まったような感覚で時間が長く感じました。
ーー甲子園はどんな場所でしたか?
もう、むちゃくちゃ楽しかったです。ストライク一つで歓声が上がるので、それが楽しくて仕方なかったですね。そして、思ってたよりやっぱりグランドが広く見えました。マウンドは意外と固かったです。
ーー甲子園出場後、まわりの環境の変化はありましたか?
ありました。例えば西宮ガーデンズで知らない人に声を掛けられたりと、沢山の方から声を掛けてもらえました。(笑)ただ、監督から「上がった分、下がるぞ。気を引き締めろ。」と言われ、普段の行動には特に注意しました。野球というスポーツは他の部活と比べ世間の認知度も高いので、甲子園が終わった後も何かイベントがある度『今年は甲子園に・・・』と紹介され続けました。実際の自分の心境としては、市尼は他の部活が既に全国区のものばかりで、自分のクラスの席の前の子は陸上で全国制覇してたりとかで、たった一回出ただけでこんだけ取り上げられて、何年も結果を出している部の子達に申し訳ないなという気持ちもありました…。
技術的なこと。心の持ち方、勝てた要因などより具体的に振り返る
ーー大会を通じて、初戦から決勝とマウンドに立ちましたが、やはり緊張などはあったのでしょうか?
緊張したのは長田高校戦だけです。それまで小さい球場だったのですが、長田戦はほっともっとフィールド神戸でした。球場の大きさに少しだけ飲まれました。それ以外の試合は全く緊張しなかったです。元々緊張はしないタイプです。
ーー決勝のリードして迎えた9回も緊張は無かったですか?
ありません。9回は一球一球ストライクが入る度に、スタンドの歓声があがり、むしろ投げてて楽しかったです。
ーー具体的に昨夏、優勝まで導くことのできた要因、投球術など教えて頂けますか?
球種はスライダー、ツーシーム、チェンジアップです。その中でもツーシームのおかげです。ツーシームが無かったら勝ててないと思います。実は西宮今津戦の試合途中から投げ出しました。それまでは自主練で遊びで投げていた程度でした。西宮今津戦でうまく使えたので、次戦の報徳学園戦でも使いました。報徳を完封できたのもツーシームのおかげです。
ーーツーシームは具体的にどのように投げていたのですか?
自分は基本的にシュート回転するので、ただおもいっきり投げるだけだと、力んでインコースに決まらないんです。ツーシームにして、真ん中を狙って投げると自然と良いところに決まってくれました。投げ方のコツとしてはリリースの際、体を引くことを意識しました。
ーーインコースを多用する印象が残っているのですが、多くの投手はインコースを投げることを怖がります。平林君はどのように投げていましたか?
体を横に振るのではなく、縦に振るイメージでした。グラブを壁にして体が開かないように注意してました。

甲子園でも平常心
ーー平林君が思う、チームとして夏を勝ち抜けた要因は何ですか?
自分たちは常勝チームでも無いので偉そうなことは言えないですが、一つ一つ目の前の試合をしっかり勝っていく意識を持っていた事だと思います。良い意味で優勝を意識しすぎなかったのも良かったです。その点、明石商業はかなり意識していたと思います。あとチーム全体でとても仲が良くて、統率力のある前田主将を中心にチームとして良い一体感があり、それも要因かもしれないです。
ーーその前田主将はどのような存在でしたか?
(前置きで)あんまり褒めたくないですけど・・(笑)でもこいつがいないと多分勝ててません。うちのチームは本当に皆おちゃらけな奴ばっかりでしたけど、前田主将がチームを引っ張り、うまくまとめてくれました。口もうまく統率力のあるやつです。守備の面でもだいぶ助かりました。
ーー普段の学校生活はどのように過ごしましたか?
ゴミ拾いだとか、トイレのスリッパを毎回綺麗に並べたりなど、きちんと学校生活もこなすように言われてました。学校のエレベーターは使わないという暗黙のルールもありました。2年の冬に骨折して、その時はエレベーターを使っていいと言われたのですが、意地でも使いませんでした。毎年冬には野球以外のことで自分ができること(ゴミ拾いなど)を全員がシートにして記入したりしてました。そういったものも含め学校生活の部分も夏の優勝に繋がったと思います。
ーー竹本監督から、よく言われた言葉や教えなどはありましたか?
全員が主将を務めれるくらい、全員がチームを引っ張る気持ちを持てと言われてました。それとレギュラーの選手ほど頑張れとよく言われました。10数年前の水江さんの世代の話をよくされました。(※2004年に竹本修監督を初めて夏の決勝戦に導いた世代。)『あいつらは選手同士ではっぱを掛け合い、”なんでもう帰んねん”と、自主練でもレギュラー陣が率先して残ってやっていたぞ』とよく言われました。あとはさっきも言いましたが、”試合と練習で変わるな”です。
ーー個人として何か監督から言われたことはありますか?
2年の秋明石商業に負けてから、練習試合でも勝てなくなりました。うまいこと抑えても、終盤にポテンヒットなので勝ち越されたり。そんな試合ばかりでした。その時に監督から”このままやと勝てんぞ。自分でちゃんと考えろ。”と言われました。
ーー何かその時に具体的にどうしろなどは言われなかったのですか?
具体的にはありませんでした。監督からは、”捕手の球を両手で受け取るとかそういうところからやってみろ”と言われました。自分からこれはしだしたのですが、ブルペンの捕手と投手を結ぶ間は絶対に横切らないようにしました。
ーー高校でもっとやっておけば良かった事はありますか?
やっぱり肘のケアですね。大会中はアドレナリンが出て痛みは感じなかったのですが、甲子園の光星学院戦の時は7回以降痛みがでました。もっとしっかりウエイトやケアなどをして怪我しない体を作っておけばと思います。
ーー現役高校生にエールを送るとすれば?
悔いの残らないようにして下さい。監督からもよく言われたのですが、終わった後に良かったと思える試合にしてください。
インタビューをして私が感じたこと
私がインタビューを通じて感じ取ったのは、とても優しい愛嬌のある顔をしているにも関わらず、反比例する平林君の心の強さです。
長田戦以外は一切緊張しなかったそう。何千人と観客の押し寄せるスタンドの中でも、決勝戦の身も凍るようなプレッシャーの中でも、自分の投球ができる。勿論最速140キロの速球、ツーシームなど技術面もあってこそですが、このハートの部分が平林君の一番の武器であり、優勝に導いた要因かと思います。
それとチームの仲の良さも感じ、強い結束力を感じ取れました。野球は一人では出来ないスポーツであり、全員の意思疎通があってやっと勝利をもぎ取れます。一人でも信頼できない選手がいると、冗談でも優勝はできないと思います。前田君というリーダーがしっかり舵を取り、矛先を記してくれた賜物が優勝です。
また監督からの指導で、野球以外の普段の行動から正す意識も受け取れました。ただ野球が上手いだけのチームがてっぺんを取る訳ではない。日頃の行いが土壇場の逆転打やファインプレーを生む。それを証明してくれたのが市尼かと感じます。
夏の大会は1か月で終わってしまいますが、それまでの3年間がいかに大事か。仲間と血と汗をにじませ、悔いの残らないプレーを現役球児たちにはしてほしいです。
市立尼崎高校野球部から学ぶ、勝ち抜くために必要なもの。
・心の強さを持つこと。
・チームの結束力を固めること。
・チームのリーダーを育成すること。(全員が主将を出来る、そのくらいの気持ちで日々取り組む。)
・試合と練習でプレーが変わらないこと。
・普段の学校生活を正すこと(土壇場のプレーに出る)
撮影協力して頂きました佛教大学の皆様、そして平林君心よりありがとうございました。
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