尼崎市内で何かとよく見かける尼崎市の市章。
もはや見慣れたこのマークですがこの市章がどういういきさつでこのような形になったか知っていますか?
大好きな街・尼崎市のシンボルマークの意味を世界で一番分かりやすく解説していきます!
目次
尼崎らしさと歴史が詰まった市章やねんで!
尼崎市の市章は尼崎藩の槍印がベースになっていると言い伝えられています。
ちなみに槍印とは集団で移動する参勤交代の時などに遠くからでもどこの大名か分かるように掲げた印のことです。
▽尼崎藩の槍印はこちら(尼信博物館で撮影)
たしかに今の市章のデザインに似ています。
尼崎藩の槍印をベースに尼崎市の要素を図案化!
尼崎藩の槍印をベースに阪神工業地帯の中核を担う工業都市(工都)の象徴として漢字の「工」の字をそして尼崎市の「ア」「マ」のカタカナを図案化して現在の形になりました。
両脇の丸の意味は?
市章の中央部分は尼崎藩の槍印をベースに「工」、「アマ」の文字を組み込んで図案化したものということが分かりました。
「じゃあこの両脇にある○はなんでんねん。」という話です。
▽ちなみに現在の市章は2代目で初代には両脇の○はありませんでした。
2代目の市章が制定されたのは1936年(昭和11年)、なぜ○が付けられたのかこの理由ももちろん学んでおきましょう!
尼崎の市章の両側に○が付いた経緯
尼崎市の市章の両側に○が付いた経緯をわか〜〜りやすく画像で紹介していきます!
2つの○の由来を丸裸に!
▽時は遡ること1936年、尼崎市と小田村(今のJR尼崎駅周辺)が合併
▽尼崎市と小田村がひとつになりました。
その結果がこちら。
そうなんです!上記のように小田村の「小」の字をさらに加えて現在も使用されている尼崎市章が誕生が誕生したんです!
今まで何回も目にしてきましたがいざその成り立ちを知ったことでこれまでよりもかなり市章への愛着が湧いてきませんか?
最後に市章の成り立ちの要点をおさらい!
- デザインの原点は尼崎藩の槍印
- 工業都市としての感じの「工」に尼崎の「ア」「マ」のカタカナを図案化
- さらに合併した小田村の「小」の漢字を加えた
番外編:その後の合併の際には変わること無く現在の市章が採用
ちなみに小田村の合併後も昭和17年には大庄村・武庫村・立花村が尼崎市に新たに合併されましたがその時は市章の変更は行われなかったようです。
万が一、この3つの村が合併した時に小田村と同様に村の名前の一部分が加えられていたらどんな感じになるのか市章を試作してみました。
勝手に試作!さらに3つの村を加えた市章がこちら
【解説】
「・・・。」
結論:「ホンマに今の市章でよかった。」